日本海と宍道湖(しんじこ)の中間あたりにある縄文時代(じょうもんじだい)の貝塚(かいづか)です。当時は遺跡(いせき)の南と北に、海水の混(ま)じった汽水(きすい)の湖があったと考えられ、それらでとれたヤマトシジミを中心とした貝がらなどが捨(す)てられて山になったところです。現在は貝塚(かいづか)の中央に、江戸時代に掘(ほ)られた人工(じんこう)の川である佐陀(さだ)川が流れていて、その両岸に貝がらがつもった層(そう)が発見されています。
縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき、約7200年前)から晩期(ばんき)にかけての土器(どき)が出てきており、長い間縄文人(じょうもんじん)の生活の場でした。丸木舟(まるきぶね)の一部や木のヤス、網(あみ)のオモリが出てきており、近くの湖(みずうみ)で水産物を採(と)っていたことが分かります。魚の骨(ほね)も多く出ていて、淡水(たんすい)や汽水(きすい)で生活するコイやフナが多いことが分かっています。また石の矢じりなどの石器(せっき)は隠岐(おき)でとれる黒曜石(こくようせき)が多いですが、香川県(かがわけん)でとれるサヌカイトという石も用いられています。獣(けもの)の骨(ほね)はイノシシとシカが多く、サル、タヌキ、アナグマ、イヌなども出ています。水辺に近い豊かな自然環境(しぜんかんきょう)の中での縄文人(じょうもんじん)の生活の様子が分かる貴重(きちょう)な遺跡(いせき)です。
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現在の様子
発掘調査で貝の層(そう)が出てきた様子
貝塚の貝層(そう)
現在の様子 | 鹿島中学前の県道沿いに遺跡の説明版があります。 |
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