島根県

西谷墳墓群

にしだにふんぼぐん

所在地島根県出雲市大津町外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

斐伊川(ひいかわ)東岸の出雲(いずも)平野を望(のぞ)む丘の上に作られた、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろ(2世紀後半~3世紀前半)の大型の墳墓(ふんぼ)群です。弥生時代後期(やよいじだいこうき 1世紀~3世紀前半)に、出雲(いずも)を中心とした山陰(さんいん)地方から北陸(ほくりく)地方にかけて、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)とよばれる、独特(どくとく)な形の有力者(ゆうりょくしゃ)のお墓(はか)が作られます。これは、四角い墳丘(ふんきゅう)の四つの隅(すみ)に、細長くつき出した突出部(とっしゅつぶ)がつくのが特徴的(とくちょうてき)なお墓(はか)です。西谷墳墓群(にしたにふんぼぐん)では、突出部(とっしゅつぶ)をふくめると、50mにもなる大きな四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)が4基(き)も作られています。特に、発掘調査(はっくつちょうさ)が行われた3号墓(ぼ)では、大きな墓穴(はかあな)が2つあり、ともに木棺(もっかん)のまわりに木槨(もっかく)とよばれる木を組み合わせた囲(かこ)いがみつかり、木棺(もっかん)の底は水銀朱(すいぎんしゅ)で真っ赤になっていました。木棺(もっかん)からは、玉や剣(けん)なども出土(しゅつど)しています。また、墓穴(はかあな)の上で大量(たいりょう)の土器(どき)が出土(しゅつど)しており、墓穴(はかあな)をうめた後に、土器(どき)を使った盛大な祭りが行われたと考えられます。それらの土器(どき)の中には、吉備(きび 岡山県)地方の特殊器台(とくしゅきだい)や丹後(たんご 京都府北部)地方あたりの土器(どき)なども出てきており、ほうむられた出雲(いずも)の王の影響力(えいきょうりょく)の強さがわかります。

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  • 整備された西谷3号墓

    整備された西谷3号墓

  • 西谷2号墓の発掘調査で現れた斜面の貼石と敷石

    西谷2号墓の発掘調査で現れた斜面の貼石と敷石

  • 西谷3号墓が作られた当時の復元模型

    西谷3号墓が作られた当時の復元模型

現在の様子宍道湖南広域農道に入口看板があります。
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