中国山地に広がる高原地帯の、川にそった丘の上にある弥生時代後期前半(やよいじだいこうきぜんはん)につくられた四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)です。これは、四角い墳丘(ふんきゅう)の四つの隅(すみ)に細長くつき出た突出部(とっしゅつぶ)がつく、山陰(さんいん)特有の墓(はか)で、墳丘のしゃ面には石がはりつけられ、突出部(とっしゅつぶ)の上には踏(ふ)み石のような石がしかれています。墳丘(ふんきゅう)の大きさは10m前後と小さいのですが、墳丘(ふんきゅう)の頂上(ちょうじょう)の平らな部分には3つの墓穴(はかあな)があり、石や木で棺(ひつぎ)が作られていました。ガラス製の玉も出土(しゅつど)しています。石見(いわみ)の山間部(さんかんぶ)をまとめた有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)と考えられます。四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)が初めて発見された遺跡であり、考古学(こうこがく)の研究の歴史のうえでも大切な遺跡(いせき)です。
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発掘調査時の順庵原1号墓の全景
順庵原1号墓の突出部分が現れた時の様子
順庵原1号墓から出てきたガラス製玉類
現在の様子 | 国道261号線の瑞穂ハンザケ自然館の南側に説明版があります。 |
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