長さ94mの出雲(いずも)東部で最大の前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)です。旧(きゅう)日本軍の施設(しせつ)を作った時に、後方部の墳丘(ふんきゅう)の半分近くはけずり取られてしまいましたが、発掘調査(はっくつちょうさ)で古墳(こふん)をめぐる濠(ほり)がみつかり、後方部(こうほうぶ)がほぼ正方形だということがわかりました。
埋葬施設(まいそうしせつ)は調査(ちょうさ)をしていないので不明ですが、墳丘(ふんきゅう)の様子やレーダー探査(たんさ)から横穴式石室(よこあなしきせきしつ)が存在(そんざい)すると考えられます。発掘調査(はっくつちょうさ)や古墳(こふん)の表面で拾(ひろ)った資料(しりょう)から、円筒埴輪(えんとうはにわ)が並べられていたと考えられ、それらにまじって須恵器(すえき)の子持ち壺(つぼ)がたくさんみつかっています。子持ち壺(つぼ)は、壺(つぼ)の上のほうに小さな壺(つぼ)をはり付け、台がついた形で、壺(つぼ)の底(そこ)はぬけているものが多いのが特徴(とくちょう)です。その後、この壺(つぼ)は「出雲型子持ち壺(いずもがたこもちつぼ)」とよばれるように、出雲(いずも)東部の特徴的(とくちょうてき)な祭りの道具となっていきます。6世紀後半ごろの出雲(いずも)東部をまとめた大豪族(ごうぞく)がほうむられたと考えらえます。
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木が伐採された山代二子塚古墳
後方部にある盛土の様子が分かる見学施設
山代二子塚古墳の隣にあるガイダンス施設
現在の様子 | 国道432号線に入口看板があります。 |
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