弥生時代後期(やよいじだいこうき)の有力者の墓(はか)です。土をもってつくった墳丘墓(ふんきゅうぼ)が3基(き)みつかりました。いずれも、四角形の四つの角が細長く張り出した四隅突出型墓(はか)です。高さ約80㎝の墳丘(ふんきゅう)の表面には、石を貼(は)りつけており、とくに角(かど)のはりだした部分には、平たい石を並べて通路(つうろ)のようにしています。1号墓は東西17.8m、南北は、北側がこわされていましたが、7mほど残っていました。頂上は平らで、人を葬(ほうむ)った穴が2つみつかりました。2号墓と3号墓は、北側がこわされていましたが、東西の長さは2号墓(ぼ)で7.8m、3号墓(ぼ)で8.8mです。
これら3基の墓からは、壺(つぼ)や甕(かめ)などの土器(どき)がみつかっており、これらの土器(どき)を使った当時の有力者の葬式(そうしき)の様子を知ることができます。
※正式な史跡名(しせきめい)は「阿弥大寺古墳群(あみだいじこふんぐん)」ですが、弥生時代(やよいじだい)の墓(はか)であることがわかったため、現在は「阿弥大寺墳丘墓群(あみだいじふんきゅうぼぐん)」と呼(よ)ばれています。
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墳丘墓群
出土した土器
第1号墓
現在の様子 | 現在は、埋(う)め戻(もど)して整備され、見学できます |
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