島根県しまねけん
  • 遺跡数11,058か所
  • 面 積6,708㎢
よすみちゃん
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島根県(しまねけん)は、中国地方の日本海側、山陰(さんいん)地方の西部にある県です。東西約180kmと長い海岸線が続き、昔の国の名前から、東部を出雲(いずも)地区、西部を石見(いわみ)地区とよんでいます。また、離島(りとう)の隠岐群島(おきぐんとう)を隠岐(おき)地区と呼び、3つの地域(ちいき)に分けることができます。大陸(たいりく)や北部九州と海でつながっているので、日本海交流が島根県(しまねけん)の歴史文化を形作っていくのに、大きな影響(えいきょう)を与えました。出雲(いずも)地区は、九州など西の方から日本海沿岸(にほんかいえんがん)を船(ふね)で東へ移動してくると、最初にぶつかる大きな島根半島(しまねはんとう)があり、古くから大陸や北部九州などの進んだ文化が伝わり、地域(ちいき)の文化にとけこんで、独特(どくとく)な文化をはぐくんできました。特に、島根半島(しまねはんとう)には中央に宍道湖(しんじこ)・中海(なかうみ)という大きな入海(いりうみ)があって、そこから山間部(さんかんぶ)まで川で通じる水運(すいうん)が発達(はったつ)し、弥生時代(やよいじだい)には、ぼう大な青銅器(せいどうき)を持ったり、山陰(さんいん)独特(どくとく)の墓(はか)が発達(はったつ)したりと、独自(どくじ)の歴史遺産(れきしいさん)が残されています。石見(いわみ)地区は、大きな平野は少ないものの、谷ごとにまとまりをもち、ゆるやかな地域性(ちいきせい)を作ってきました。隠岐(おき)は離島(りとう)ですので、航海(こうかい)の目印になったり、船(ふね)がたちよる港になったりすることで、さまざまな地域(ちいき)の文化が伝わってきて、独自(どくじ)の文化が発達(はったつ)しました。

うちのお宝 ベスト5

  • 銅剣、銅矛、銅鐸

    銅剣(どうけん)・銅矛(どうほこ)、銅鐸(どうたく)荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)・加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき) 国宝

    荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)からは358本の銅剣(どうけん)、16本の銅矛(どうほこ)、6個の銅鐸(どうたく)が、加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)からは39個の銅鐸(どうたく)が出ています。一つの遺跡(いせき)の銅剣(どうけん)の数、銅鐸(どうたく)の数はそれぞれ日本一。その数には圧倒(あっとう)されます。銅鐸(どうたく)のトンボ、ウミガメ、人の顔など独特(どくとく)の模様(もよう)や、両方に遺跡(いせき)に共通する埋(う)める前につけられた「×」印にも注目です。

  • 三角縁神獣鏡

    三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)神原神社古墳(かんばらじんじゃこふん) 国指定重要文化財

    三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)とは、弥生時代前期(やよいじだいぜんき)の古墳(こふん)に副葬(ふくそう)された、日本列島(れっとう)に独特(どくとく)の銅鏡(どうきょう)です。中国で出土(しゅつど)する神獣鏡(しんじゅうきょう)と同じような模様(もよう)を持(も)ちますが、縁(ふち)が三角形にとがっているのが特徴(とくちょう)です。神原神社古墳(かんばらじんじゃこふん)から出た鏡(かがみ)には「景初(けいしょ)三年」の文字が刻(きざ)まれています。「景初(けいしょ)三年」は239年のことで、『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)に倭王(わおう)の卑弥呼(ひみこ)が中国・魏(ぎ)の皇帝(こうてい)から「銅鏡(どうきょう)百枚」を賜(たまわ)ったという年なので、卑弥呼(ひみこ)がもらった鏡(かがみ)とも言われます。ほかにたくさんの鉄製品(てつせいひん)などが出ています。

  • 形象埴輪(けいしょうはにわ)

    形象埴輪(けいしょうはにわ)平所遺跡(ひらどころいせき) 国指定重要文化財

    5世紀の終わりころの埴輪(はにわ)を焼いた(かま)から出てきた形象埴輪(けいしょうはにわ)で、人物、馬(うま)、家、鹿(しか)などの埴輪(はにわ)があります。いずれも、ほんものとよく似た姿(すがた)に作られています。特に、鹿形埴輪(しかがたはにわ)は、鹿(しか)がふり返っている様子が上手に作られていて、「見返(みかえ)りの鹿(しか)」と呼ばれています。柔らかな鹿(しか)の体の表現(ひょうげん)と、草を食べているような表情(ひょうじょう)のリアルさで、埴輪(はにわ)ファンに人気の作品です。

  • 銘文入り大刀

    銘文(めいぶん)入り大刀(たち)岡田山1号墳(おかだやま1ごうこふん) 国指定重要文化財

    古墳時代後期(こふんじだいこうき)、6世紀後半ころの岡田山1号墳(前方後方墳/全長24m)から出土(しゅつど)したもので、飾(かざ)り大刀(たち)や飾(かざ)り馬具(ばぐ)、銅鏡(どうきょう)、金で飾(かざ)った装飾品(そうしょくひん)、須恵器(すえき)などがあります。その中でも有名なのが、文字を刻(きざ)んだ刀です。「銘文入り鉄刀(めいぶんいりてっとう)」と呼ばれるもので、刀の本体部分に「額田部臣(ぬかたべのおみ)」をはじめとした11字が刻(きざ)まれています。額田部臣(ぬかたべのおみ)は、当時の豪族(ごうぞく)の名前で、当時のヤマト政権(せいけん)が地方の人々を支配する様子を研究するために貴重なものです。

  • 金銀装武器(きんぎんそうぶき)・馬具(ばぐ)ほか

    金銀装武器(きんぎんそうぶき)・馬具(ばぐ)ほか上塩冶築山古墳(かみえんやつきやまこふん) 国指定重要文化財

    出雲市(いずもし)にある6世紀後半に造られた上塩冶築山古墳(かみえんやつきやまこふん)から出てきたものです。特に横穴式石室(よこあなしきせきしつ)から出土(しゅつど)した、金で飾(かざ)られた冠(かんむり)やアクセサリー、飾(かざ)り大刀(たち)、鉄(てつ)の刀、鉄(てつ)の矢じりなどの武器(ぶき)類、金銀で装飾(そうしょく)された馬具(ばぐ)、玉などは当時の最高級(さいこうきゅう)の品々でした。この古墳(こふん)にほうむられた人は、出雲(いずも)西部を治めた「大豪族(だいごうぞく)」と考えられます。写真は、武具(ぶぐ)と馬具(ばぐ)の模型(もけい)をつけた馬上の大首長(だいしゅちょう)を復元(ふくげん)したものです。

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