群馬県ぐんまけん
  • 遺跡数14,011か所
  • 面 積6,362㎢
ぶじんくん
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群馬県(ぐんまけん)は、関東(かんとう)平野の内陸(ないりく)の県です。日本最大の川、利根川(とねがわ)の上流にあって、南東には関東(かんとう)平野がひらけ、西と北は山にかこまれています。関東(かんとう)地方と中部地方、日本海(にほんかい)、東北(とうほく)地方を結ぶ、交通の重要な地域(ちいき)であり、いつの時代にも、各地から運びこまれたいろいろな品物や技術(ぎじゅつ)によって、ゆたかな文化がさかえた土地でした。日本で最初に旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)がみつかった岩宿遺跡(いわじゅくいせき)をはじめ、1万か所をこえる遺跡(いせき)と、全長210mと東日本で一番大きい古墳(こふん)である太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)など、1万3000基(き)以上の古墳(こふん)がみつかっています。また、古墳時代(こふんじだい)に起きた浅間山(あさまやま)、榛名山(はるなさん)の噴火(ふんか)の火山灰(かざんばい)で埋(う)もれた、世界的にもめずらしい遺跡(いせき)がみつかるのも、群馬県(ぐんまけん)の大きな特徴(とくちょう)です。金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)では、火砕流(かさいりゅう)にまきこまれた人々や馬がみつかりました。日高遺跡(ひだかいせき)や黒井峯遺跡(くろいみねいせき)のように、軽石(かるいし)や火山灰(かざんばい)に埋(う)もれて、当時の姿(すがた)そのままに残された古墳時代(こふんじだい)のムラや田畑がみつかった遺跡(いせき)も少なくありません。

うちのお宝 ベスト5

  • くっついた石器たち

    くっついた石器たち上白井西伊熊遺跡(かみしろいにしいくまいせき) 県指定重要文化財

    いまから2万年前の旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人々が、近くの川からとってきた石をここで打ちわり、石器(せっき)を作っていたことがわかる遺跡(いせき)です。わられた石の破片(はへん)をつなぎ合わせてゆくと、元の石を、どのように打ちわって、石器(せっき)を作ったかがわかりました。おどろいたことに、群馬(ぐんま)から遠くはなれた瀬戸内(せとうち)地域(ちいき)で発達した石器(せっき)作りのテクニックである「瀬戸内技法(せとうちぎほう)」で石器(せっき)が作られていることがわかったのです。旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人や技術(ぎじゅつ)の交流を示す、大切な資料(しりょう)です。

  • 土でつくった耳かざり

    土でつくった耳かざり千網谷戸遺跡(ちあみがいといせき) 国指定重要文化財

    縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろの住居(たて穴建物)から、耳に穴(あな)を開けてはめ込む、土でつくった耳かざりがたくさんみつかりました。直径9㎝、高さ4㎝ほどの大きさですが、厚(あつ)さは1~2mmほどとうすく、とても複雑(ふくざつ)なすかし彫(ぼ)りで、複雑(ふくざつ)な形を作っています。千網谷戸遺跡(ちあみがいといせき)では、耳かざりを作った時の粘土(ねんど)の削(けず)りかすまでみつかっていて、まさにここで作られたことがわかります。縄文時代(じょうもんじだい)最高の芸術家(げいじゅつか)の作品でしょう。

  • 人の形をした土器(どき)

    人の形をした土器(どき)有馬遺跡(ありまいせき)

    高さ36.5㎝の人形土器(ひとがたどき)です。大きな顔に、鼻の穴(あな)を強調(きょうちょう)した鼻、つき出し気味(ぎみ)で大きな唇(くちびる)、切れ長の目、そして左右の耳には耳かざり用の穴(あな)があいています。額(ひたい)の上に乗っているのは髪(かみ)の毛なのか、あるいは冠(かんむり)なのでしょうか。左右に広げた手の先と、顔の一部には赤い顔料(がんりょう)が塗(ぬ)られています。お墓(はか)の近くから出土(しゅつど)しているので、葬儀(そうぎ)に関係するものかもしれません。縄文時代(じょうもんじだい)の土偶(どぐう)とも、古墳時代(こふんじだい)の埴輪(はにわ)とも違う、弥生時代(やよいじだい)独特の人物を表現した土器(どき)です。

  • よろいをつけた人骨

    よろいをつけた人骨金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)

    6世紀初めに榛名山(はるなさん)の火砕流(かさいりゅう)にまきこまれて死亡した40代の男性の人骨(じんこつ)です。身長は164㎝。人骨(じんこつ)の特徴(とくちょう)から、左ききで、よく馬に乗(の)っていた人だということがわかりました。九州から西日本に多い顔立ちですが、長野県(ながのけん)の南部で生まれて、群馬県(ぐんまけん)に移り住んだらしいです。1800枚もの鉄(てつ)で作った小札(こざね)を、絹(きぬ)の組み紐(ひも)と革紐(かわひも)で綴(と)じた甲(よろい)を身につけて、(かぶと)を持っていました。(かぶと)には、小札(こざね)を組み紐(ひも)でつなげた頬当(ほおあ)てと、(しころ)がついています。もう一つの甲(よろい)や鹿角(ろっかく)製小札(こざね)を組み合わせたかざり物、銀(ぎん)や金銅(こんどう)、鹿角(ろっかく)でかざられた(ほこ)・矢じりも、彼の物なのでしょう。

  • 埴輪武装男子立像(はにわぶそうだんしりゅうぞう)

    埴輪武装男子立像(はにわぶそうだんしりゅうぞう)群馬県太田市(ぐんまけんおおたし) 国宝

    太田市(おおたし)の古墳(こふん)から出土(しゅつど)したものです。埴輪(はにわ)といえばこれ、というほどに有名な埴輪(はにわ)です。高さは131cm、頬当(ほおあ)てのついた冑(かぶと)をかぶり、肩甲(かたよろい)を別に作った小札甲(こざねよろい)、膝甲(ひざよろい)、脛当(すねあ)て、小手(こて)で身を固めた武人(ぶじん)の姿(すがた)です。(とも)をまいた左手には弓を持ち、右手を大刀(たち)の柄(え)にかけています。均整(きんせい)のとれた姿(すがた)、おだやかな表情、細かくて美しい甲冑(かっちゅう)の表現など、熟練(じゅくれん)した埴輪職人(はにわしょくにん)の作品でしょう。埴輪(はにわ)の中で一つだけ、国宝(こくほう)に指定(してい)されているすぐれた品です。

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