茨城県いばらきけん
  • 遺跡数11,886か所
  • 面 積6,097㎢
みほーす
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茨城県(いばらきけん)は、全国の都道府県(とどうふけん)のなかで、魅力度(みりょくど)ランキングが最下位で毎回注目を集めていますが、11000以上の魅力(みりょく)ある遺跡(いせき)がみつかっている県として知られています。いちばん注目すべき遺跡(いせき)は、ひたちなか市にある虎塚古墳(とらづかこふん 全長56.5m)で、埋葬(まいそう)されていた人を納(おさ)めた石室(せきしつ)の中には、赤い顔料(がんりょう)を使って三角形や武器(ぶき)などを描(えが)いた壁画(へきが)があります。このような壁画(へきが)は大変珍しく、九州地方でよくみつかっているものと似ていることから、海を通じた水上交通で交流(こうりゅう)があったと考えられます。古墳(こふん)はとくに太平洋(たいへいよう)の海岸(かいがん)ぞいと霞ヶ浦(かすみがうら)の沿岸(えんがん)ぞいでたくさんみつかっていますが、この地域では縄文時代(じょうもんじだい)の貝塚(かいづか)もたくさんあって、古くから豊かな海産物(かいさんぶつ)に恵まれた地域であったと考えられます。とくに霞ヶ浦(かすみがうら)の沿岸地域(えんがんちいき)の縄文時代(じょうもんじだい)の後半から終わりごろにかけて作られた貝塚(かいづか)では、塩(しお)づくりを行うための土器(どき)が出土(しゅつど)することが多く、隣(となり)の栃木県(とちぎけん)のような内陸(ないりく)の縄文時代(じょうもんじだい)のムラと、山でとれた物と塩(しお)を交換(こうかん)していたと考えられています。

うちのお宝 ベスト5

  • 金銅製馬形付透彫冠(こんどうせいうまがたかざりつきすかしぼりかんむり)

    金銅製馬形付透彫冠(こんどうせいうまがたかざりつきすかしぼりかんむり)三昧塚古墳(さんまいづかこふん) 国指定重要文化財

    三昧塚古墳(さんまいづかこふん)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)に埋(う)められた箱式石棺(はこしきせっかん)から、銅鏡(どうきょう)や玉(たま)、武器(ぶき)や耳かざり、櫛(くし)と一緒に、金銅製(こんどうせい)の冠(かんむり)が出土(しゅつど)しました。冠(かんむり)は、埋葬(まいそう)された人の頭のところから出土(しゅつど)したことから、頭に被(かぶ)らせていたと考えられています。冠(かんむり)の正面にはチョウチョの形をした飾(かざ)り金具(かなぐ)が二段に配置(はいち)され、上段には花と馬の形をした飾(かざ)りを交互(こうご)に付けています。また、冠(かんむり)の部分には、花の形などの模様(もよう)を透(すか)し彫(ぼ)りで表現しています。冠(かんむり)には、ゆらゆら揺(ゆ)れ動く円形の飾(かざ)りの金具(かなぐ)が全体的に付いていて、当時は黄金色に光り輝(かがや)いていたと考えられる、すばらしいお宝です。

  • 巴形銅器(ともえがたどうき)

    巴形銅器(ともえがたどうき)一本松遺跡(いっぽんまついせき) 県指定文化財

    弥生時代後期(やよいじだいこうき)のたて穴建物跡(あと)から出土(しゅつど)した青銅製(せいどうせい)の飾(かざ)りです。作られた材料(ざいりょう)をしらべたら、中国でとれた鉛(なまり)が使われていたようです。一本松遺跡(いっぽんまついせき)のムラの有力者が、水上交通によって遠い土地と物のやりとりをおこなうなかで、手にいれた威信財(いしんざい、富や力をもっていることを示すモノ)であったと考えられます。

  • 人面付土器(じんめんつきどき)

    人面付土器(じんめんつきどき)泉坂下遺跡(いずみさかしたいせき) 国指定重要文化財

    泉坂下遺跡(いずみさかしたいせき)でたくさんみつかった弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)の再葬墓(さいそうぼ)のうち、第1号再葬墓(さいそうぼ)は、人面付土器(じんめんつきどき)が使われていました。この土器(どき)は、高さは77.7cmと大きく、(つぼ)の注(そそ)ぎ口には、目・鼻・口が描(えが)かれた顔が付いていました。この遺跡(いせき)を代表する出土品(しゅつどひん)であることから、「いずみちゃん」という愛称(あいしょう)でよばれています。

  • ヒスイ製大珠(たいしゅ)

    ヒスイ製大珠(たいしゅ)坪井上遺跡(つぼいうえいせき) 県指定文化財

    坪井上遺跡(つぼいうえいせき)からは、1993年と1996年に大宮ショッピングセンターを建(た)てる時におこなわれた発掘調査(はっくつちょうさ)で3点、調査をする前に5点のヒスイで作られた大珠(たいしゅ)がみつかっています。大珠(たいしゅ)は、穴が開いているので、ペンダントのように吊(つ)り下げられたアクセサリーと考えられます。ヒスイは、新潟県(にいがたけん)を流れる姫川(ひめかわ)と青海川でしか採(と)れない貴重(きちょう)な石です。坪井上遺跡(つぼいうえいせき)からは、新潟県(にいがたけん)でつかわれる火焔型土器(かえんがたどき)も出土(しゅつど)していることから、ヒスイの産地(さんち)との交易(こうえき)・交流(こうりゅう)があったことがわかる貴重(きちょう)な資料です。

  • 水晶(すいしょう)でつくられた石槍(いしやり)

    水晶(すいしょう)でつくられた石槍(いしやり)小組遺跡(こぐみいせき) 笠間市指定文化財

    小組遺跡(こぐみいせき)からは、水晶(すいしょう)という透明(とうめい)でキラキラした石でつくられた石槍(いしやり)がみつかりました。石槍(いしやり)の左の上の方には、雨樋(あまどい)のようにえぐれた鋭(するど)い面があり、狩(か)りの時に獲物(えもの)をさす槍先(やりさき)に使われたと考えられています。県内でも水晶(すいしょう)が使われた石器(せっき)がまとまってみつかった遺跡(いせき)はほかになく、とても貴重(きちょう)な資料です。

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