東京都とうきょうと
  • 遺跡数6,444か所
  • 面 積2,194㎢
トーハクくん、ユリノキちゃん
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東京都(とうきょうと)は、面積は2194㎢で、都道府県(とどうふけん)のなかではせまいのですが、日本の一番南に位置する小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都(とうきょうと)に属(ぞく)しています。遺跡(いせき)の数は6000をこえますが、江戸時代(えどじだい)から現在まで政治の中心地だったので、たくさんの建物が建てられたために、遺跡(いせき)の多くが削(けず)られてなくなったと考えられます。大昔の東京(とうきょう)の地形(ちけい)は、東京湾(とうきょうわん)が現在よりも北に大きく入りこんでいて、縄文時代(じょうもんじだい)の貝塚(かいづか)は、そうした海岸の近くにつくられています。また、東西にまがりくねりながら流れる多摩川(たまがわ)の流域(りゅういき)には、旧石器時代(きゅうせっきじだい)から古代(こだい)にかけて、多くの遺跡(いせき)が発見されています。

うちのお宝 ベスト5

  • 土偶(どぐう)

    土偶(どぐう)多摩(たま)ニュータウン№471遺跡(いせき)

    縄文時代(じょうもんじだい)中期中ごろの土偶(どぐう)で、顔からどう体までがよく残っていますが、足は欠けています。顔には白い色がぬられています。入れ墨(ずみ)を表現したのかもしれません。この時期の土偶(どぐう)としては、写実的(しゃじつてき)な表現を示しています。

  • 土でつくった耳かざり

    土でつくった耳かざり下布田遺跡(しもふだいせき) 国指定重要文化財

    縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)の土でつくった耳かざりです。とても細かくに、入り組んだ複雑(ふくざつ)な模様(もよう)が、透(す)かしぼりされている、すぐれたものです。直径は10㎝です。全体に赤い色が塗(ぬ)られています。

  • 弥生時代(やよいじだい)の壺(つぼ)

    弥生時代(やよいじだい)の壺(つぼ)久ヶ原遺跡(くがはらいせき)

    弥生時代後期(やよいじだいこうき)の土器(どき)で、たいへんスマートな(つぼ)です。内側と外側は赤い色で塗(ぬ)られていて、とてもきれいに飾られています。胴部(どうぶ)には三角形の幾何学的(きかがくてき)な模様(もよう)が描(えが)かれています。南関東(みなみかんとう)地方の弥生時代後期(やよいじだいこうき)の代表的な土器(どき)です。

  • 銅鏡(どうきょう)

    銅鏡(どうきょう)狛江亀塚古墳(こまえかめづかこふん)

    全長40mの帆立貝形古墳(ほたてがいがたこふん)に副葬(ふくそう)されていた中国製(せい)の銅鏡(どうきょう)です。鏡にきざまれていた銘文(めいぶん)に、百済(くだら)の斯麻王(しまおう)の名前があり、(わ)と百済(くだら)のしたしい交流(こうりゅう)を示すものといえます。この鏡(かがみ)は、和歌山県(わかやまけん)の隅田八幡宮(すだはちまんぐう)がもっている銅鏡(どうきょう)のモデルになった鏡(かがみ)と言われています。

  • 石製模造品(せきせいもぞうひん)

    石製模造品(せきせいもぞうひん)野毛大塚古墳(のげおおつかこふん) 国指定重要文化財

    石製模造品(せきせいもぞうひん)は、祭りのための道具です。刀子(とうす)やまが玉銅鏡(どうきょう)などの形を、すべて滑石(かっせき)という石でつくったものが、この古墳(こふん)からたくさん出土(しゅつど)しました。本来は、神に祈りを捧(ささ)げるためのまつりの道具だったものが、死んで「カミ」になった首長(しゅちょう)とともに、墓(はか)に埋葬(まいそう)されたのでしょう。

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