- 遺跡数2,570か所
- 面 積7,102㎢
高知県(こうちけん)は東西に長く、海岸線は700㎞もあります。南には太平洋(たいへいよう)が広がり、北には四国(しこく)山地がそびえ、四万十川(しまんとがわ)、仁淀川(によどがわ)、物部川(ものべがわ)などが流れています。山あり、川あり、海ありと、それぞれの時代でくらしやすい場所を選んで住んでいました。旧石器時代(きゅうせっきじだい)や縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)は、四万十川(しまんとがわ)ぞいの山の中にたくさんみつかっています。米づくりが始まる弥生時代(やよいじだい)になると、平野(へいや)でたくさんの遺跡(いせき)がみつかるようになります。弥生時代(やよいじだい)が始まるころに、高知県(こうちけん)には、対照的(たいしょうてき)な2つの遺跡(いせき)があります。その一つは居徳遺跡群(いとくいせきぐん)で、伝統的(でんとうてき)な縄文時代(じょうもんじだい)の生活に、弥生時代(やよいじだい)の新しい生活が取り入れたようすがよくわかります。もう一つ、田村遺跡群(たむらいせきぐん)は、弥生時代(やよいじだい)の生活を新たな場所でスタートさせた人々が残した遺跡(いせき)です。新しい文化に対して慎重(しんちょう)な集団と、新しいもの好きな集団がいたのでしょうか。
さて、高知県(こうちけん)でみつかっている古墳(こふん)は約220基(き)と少なく、確実(かくじつ)な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)はみつかっていないことが大きな特徴(とくちょう)で、古墳(こふん)をつくることに積極的(せっきょくてき)ではありませんでした。ただ、居徳遺跡群(いとくいせきぐん)・具同中山遺跡群(ぐどうなかやまいせきぐん)・古津賀遺跡群(こつかいせきぐん)などでは、大規模(だいきぼ)な祭りの跡(あと)がみつかっており、高知県(こうちけん)の古墳時代(こふんじだい)の人々が何を大切にしていたかが、あらわれていると思います。
尖頭器(せんとうき)十川駄馬崎遺跡(とうかわだばさきいせき)
全長19.2㎝、最大幅(はば)3.3㎝、最大厚(あつ)さ1cmの大型(おおがた)のものです。木の先に付け槍(やり)として使用されていたと考えられます。縄文時代(じょうもんじだい)の初めごろのもので、形も整(ととの)っていて、とても美しくしあげられています。遺跡(いせき)のまわりで採(と)れる頁岩(けつがん)で作られています。
土偶(どぐう)居徳遺跡群(いとくいせきぐん) 県指定有形文化財
頭から胸(むね)にかけての破片(はへん)です。目、鼻、耳などが表現されています。また、裏側には円形のもりあがった部分がみられ、結(ゆ)った髪(かみ)を表わしていると考えられます。全身(ぜんしん)まで復元(ふくげん)すると、高さは40〜50㎝となり、全国的にも最大級(さいだいきゅう)の大きさです。高知県立埋蔵文化財(こうちけんりつまいぞうぶんかざい)センターのマスコット、文蔵(ぶんぞう)くんとまいちゃんのモデルになっています。