- 遺跡数5,109か所
- 面 積11,638㎢
秋田県(あきたけん)は、本州北部の日本海側に面し、全国で五番目に広い県です。沿岸部の中央に、海につきでた男鹿半島(おがはんとう)があり、その北側と南側とにそれぞれ米代川(よねしろがわ)、雄物川(おものがわ)が流れています。この二つの川の流域に、それぞれ旧石器時代(きゅうせっきじだい)から古墳時代(こふんじだい)にかけての遺跡(いせき)が数多く広がっていますが、特に縄文時代(じょうもんじだい)からは、二つの流域の遺跡群(いせきぐん)に地域的な違いがみられます。北の米代川(よねしろがわ)の流域では、円筒土器(えんとうどき)とよばれる青森県を中心に分布する土器(どき)、南の雄物川(おものがわ)の流域では、仙台湾を中心とする大木式土器(だいぎしきどき)が広がります。また、日本列島(れっとう)で米作りが始まった弥生時代(やよいじだい)には、海側では男鹿半島(おがはんとう)の付け根にある八郎潟(はちろうがた)沿岸を中心にいくつか遺跡(いせき)がありますが、山の方にはありません。さらに県内には、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)などの大きな古墳(こふん)はないのですが、米代川(よねしろがわ)の流域では、その頃の北海道と同じ土器(どき)やお墓(はか)のある遺跡(いせき)がありますが、雄物川(おものがわ)の流域では古墳(こふん)文化の土器(どき)をもった人たちのムラや墓地(ぼち)の遺跡(いせき)がみつかっています。
石器(せっき)米ケ森遺跡(よねがもりいせき) 県指定文化財
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人々は、石器(せっき)の材料(ざいりょう)となる石のかたまりをもって、食料(しょくりょう)となる動物を追(お)う移動生活(いどうせいかつ)をくりかえしていました。狩(か)りの道具(どうぐ)は動物が休けいをする場所の近くにキャンプをはって作り、その場で使っていました。石器(せっき)の材料(ざいりょう)の石をむだなく使うため、時代(じだい)・地域(ちいき)で独特(どくとく)な技術(ぎじゅつ)が工夫(くふう)されました。この石器(せっき)も「米ヶ森技法(よねがもりぎほう)」で作られて、「米ヶ森型台形石器(よねがもりがただいけいせっき)」と呼ばれます。長さ2~3㎝ほどと小さく、一見、道具(どうぐ)を作るために削(けず)ったかけらのようですが、木や骨で作った軸(じく)にたくさん埋(う)めこんで槍(やり)として使ったと考えられます。
磨製石斧(ませいせきふ)上掵遺跡(うわはばいせき) 国指定重要文化財
縄文時代(じょうもんじだい)になって定住生活(ていじゅうせいかつ)が始まると、ムラのなかで儀式(ぎしき)やまつりがおこなわれるようになります。そのための特別な道具(どうぐ)が作られ、ムラの人々が共同で使ったようです。長さ35~60㎝ほどもあるこの4本の大型の磨製石斧(ませいせきふ)は、縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)のムラの片隅(かたすみ)にまとめて埋(う)められていました。北海道(ほっかいどう)産の緑色(みどりいろ)の石を使い、「擦切技法(すりきりぎほう)」という技術(ぎじゅつ)で作られています。長いものと短いもの2本ずつの石斧(いしおの)は、丸い刃(は)とまっすぐな刃(は)が同じく2本ずつ組み合っています。ムラの儀式(ぎしき)をおこなうのに石斧(いしおの)の大きさ・形に応じた2つのグループが関わっていたのかも知れません。
土偶(どぐう)伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき) 県指定文化財
逆三角形(ぎゃくさんかっけいい)の胴体(どうたい)から顔が飛び出した、高さ18.7㎝の土偶(どぐう)です。お墓(はか)と思われる大きな穴の中から、まず顔が見つかり、その後にその下から胴体(どうたい)がみつかりました。正面には格子目(こうしめ)、背中(せなか)にはV字を重ねたもようが描(えが)かれ、胸元(むなもと)は左右をあわせた綴(つづ)り目(服のあわせ目?)のようなもようがあって、逆V字形に下半身(かはんしん)より厚(あつ)く作られています。当時の衣服(いふく)を表(あらわ)したものかもしれません。また、両肩(りょうかた)の先には上下に穴があけられ、つり下げて使われたようです。
続縄文土器(ぞくじょうもんどき)と鉄製品(てつせいひん)寒川Ⅱ遺跡(さむかわ2いせき) 県指定文化財
東北地方北部から新潟県(にいがたけん)にかけては古墳時代(こふんじだい)の初(はじ)めころ、北海道(ほっかいどう)と同じ土器(どき)がみつかります。これらの土器(どき)は墓(はか)の副葬品(ふくそうひん)です。縄文(じょうもん)や細い粘土紐(ねんどひも)のもようで飾(かざ)り、注(そそ)ぎ口がついたり、口の上が波(なみ)うったりすることが特徴(とくちょう)です。同じ墓(はか)からは、東北地方でももっとも古い鉄の道具、斧(おの)や木の皮(かわ)を巻(ま)いた小刀(こがたな)の柄(え)の部分がみつかりました。古墳(こふん)がない地域の文化を考える上で、とても重要な品々です。