内裏塚古墳(だいりづかこふん)は、南関東(みなみかんとう)でも大きな古墳群(こふんぐん)として知られる、内裏塚古墳群(だいりづかこふんぐん)の中にあります。内裏塚古墳群(だいりづかこふんぐん)は、三条塚古墳(さんじょうづかこふん)・九条塚古墳(くじょうづかこふん)・稲荷山古墳(いなりやまこふん)など100mを超(こ)える大型の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を含(ふく)む30基(き)以上の古墳(こふん)があります。そのなかで、内裏塚古墳(だいりづかこふん)は、墳丘(ふんきゅう)の全長144mもある最大(さいだい)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。墳丘(ふんきゅう)には、埴輪(はにわ)がめぐっています。江戸時代(えどじだい)にみつかった人物埴輪(じんぶつはにわ)の頭の部分は、国内の人物埴輪(じんぶつはにわ)の中でも古いものとして注目されます。2基(き)のたて穴式石室(たてあなしきせきしつ)から、小型(こがた)の銅鏡(どうきょう)などとともに、貴重(きちょう)な金銅製(こんどうせい)の胡籙金具(ころくかなぐ)と鹿角製(ろっかくせい)の鳴鏑(なりかぶら)がみつかっています。この古墳(こふん)にほうむられた人は、当時のヤマト政権(せいけん)とつながりがあった有力(ゆうりょく)な地方豪族(ごうぞく)であったと考えられます。
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空から見た古墳
見つかった埴輪
確認調査のようす(平成19年)