陸平貝塚(おかだいらかいづか)は、霞ヶ浦(かすみがうら)に半島のように突きでた台地の
上につくられた縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)から後期(こうき)にかけてつくられた貝塚(かいづか)です。この貝塚(かいづか)は、1879年に東京大学の学生によって発掘調査(はっくつちょうさ)が行われました。初めて日本人がおこなった発掘調査(はっくつちょうさ)であり、日本の考古学の歴史にのこる遺跡(いせき)です。貝塚(かいづか)はいくつかの地点に分かれていて、中でもA・B・D貝塚(かいづか)は規模(きぼ)が大きく、長さ約100mにもわたって貝が積(つ)もっています。とくにB貝塚(かいづか)は、いまの地面から深さ4.7mまで貝が積(つ)もっていました。貝の種類は時期によって異なっていて、早期(そうき)は泥(どろ)のたまった干潟(ひがた)で生きるハイガイやマガキが多いのに対し、前期(ぜんき)以降は砂や泥(どろ)がたまった干潟(ひがた)で生きるハマグリが中心になっていて、貝塚(かいづか)のまわりの環境(かんきょう)が少しずつ変わっていったことが分かります。陸平貝塚(おかだいらかいづか)のように、早期(そうき)から後期(こうき)という長い期間にわたってつくられた貝塚(かいづか)は、県内では他になく、貝塚(かいづか)の規模(きぼ)も他の貝塚(かいづか)とは比べものにならないほど大きいことから、茨城県(いばらきけん)を代表する貝塚(かいづか)といえます。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ