舟塚山古墳(ふなつかやまこふん)は、霞ヶ浦(かすみがうら)にそそぐ恋瀬川(こいせがわ)の河口ちかくの台地の上につくられた、全長186mの大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。その大きさは、茨城県(いばらきけん)では最大、東日本では群馬県太田市(ぐんまけんおおたし)の太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)についで第2位の大きさです。2011年に行われた地中レーダー探査(たんさ)・磁気探査(じきたんさ)の結果、後円部(こうえんぶ)の頂上(ちょうじょう)の下と、前方部(ぜんぽうぶ)の頂上(ちょうじょう)の下に、埋葬施設(まいそうしせつ)があるようです。古墳のまわりにめぐる濠(ほり)の跡(あと)から,5世紀前半ころの特徴をもつ埴輪(はにわ)が出土(しゅつど)していることから、5世紀前半ごろに古墳(こふん)が完成したと考えられます。古墳(こふん)の規模(きぼ)からこの古墳(こふん)に葬(ほうむ)られた人は、この地域を治(おさ)めていた絶大(ぜつだい)な権力(けんりょく)をもつ有力者と考えられます。
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空から見た古墳
出土した埴輪群
側面からの眺め