大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき)は、弥生時代(やよいじだい)の住居(たて穴建物)と墓(はか)がいっしょにみつかった、全国的にもめずらしい遺跡です。大塚遺跡は、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)のムラの跡(あと)で、外からの敵(てき)を防(ふせ)ぐために、まわりに濠(ほり)がめぐらされている環濠集落(かんごうしゅうらく)です。環濠(かんごう)の内側から、約90軒(けん)の住居(たて穴建物)の跡(あと)が発見されています。その隣にある歳勝土遺跡(さいかちどいせき)からは、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)とよばれる、墓(はか)がまとまって発見されています。方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)は、土を低く四角形にもりあげて、そのまわりを溝(みぞ)でかこんだ形をしています。
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公園のようす
復元(ふくげん)された方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)
復元(ふくげん)された住居跡(じゅうきょあと)
現在の様子 | 現在、2つの遺跡(いせき)をあわせて、「大塚・歳勝土史跡公園」として整備(せいび)され、住居(たて穴建物)7軒(けん)をはじめ、高床倉庫(たかゆかそうこ ほったて柱建物)、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)などが、元の姿(すがた)に復元(ふくげん)されています |
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