将監塚遺跡(しょうげんづかいせき)と古井戸遺跡(ふるいどいせき)は、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のムラの跡(あと)です。それぞれの遺跡(いせき)は、住居(たて穴建物)の跡(あと)が輪(わ)のように広がることから、環状集落(かんじょうしゅうらく)とよばれます。この2つの遺跡(いせき)は近くにあり、ムラの時期も同じなので、2つの遺跡(いせき)を合わせて1つのムラだったと考えられています。約500年の間に、古井戸遺跡(ふるいどいせき)で154軒(けん)、将監塚遺跡(しょうげんづかいせき)は少なくとも114軒(けん)の住居(たて穴建物)が建てられたことがわかりました。住居(たて穴建物)は密集(みっしゅう)していますが、住居(たて穴建物)が建っていない場所があることから、ムラのつくり方にはきまりがあったと考えられます。縄文時代(じょうもんじだい)の土器(どき)やムラの研究(けんきゅう)にたいへん重要(じゅうよう)な遺跡(いせき)です。
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空からみた遺跡
たて穴建物の跡
空からみた遺跡遺物
現在の様子 | 児玉工業団地として造成されています |
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