上林遺跡(かみばやしいせき)からは、旧石器時代(きゅうせっきじだい)のはじめ、いまから約4万年前の人びとの生活の跡(あと)となる、日本最大の環状ブロック(かんじょうぶろっく)が出土(しゅつど)しました。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)には、少人数のグループが、季節がかわるごとに集まったり分かれたりしながら、食べものをもとめて移動(いどう)生活を送ると考えられてきました。しかし、上林遺跡(かみばやしいせき)では、3500点以上の石器(せっき)が、いくつものまとまり(ブロック)となって、80m×50mのだ円形をつくるように広がっていました。この1つのまとまり(ブロック)を1つのグループが残した生活の跡(あと)だとすると、それは縄文時代(じょうもんじだい)のムラと同じくらいの大きさになるのです。すべての石器(せっき)の材料を調べたら、最も多く使われたチャートは遺跡(いせき)の近くで手に入れたものでしたが、それ以外の頁岩(けつがん)や蛇紋岩(じゃもんがん)、輝緑岩(きりょくがん)などは、遠いところから運んでこられたものでした。さらに黒曜石(こくようせき)は、県内の高原山でとれたものはもちろん、長野県・静岡県(しずおかけん)・神奈川県(かながわけん)、そして伊豆諸島(いずしょとう)の神津島(こうづじま)のものが含まれていたほか、安山岩(あんざんがん)は、利根(とね)川流域や大洗(おおあらい)、箱根(はこね)からのものでした。このことは、遠くから人や物が、いろいろな方法で、栃木県(とちぎけん)まできていたことを示しています。
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環状(かんじょう)ブロック復元図
出土した主要な石器
発掘調査のようす
現在の様子 | 現在は、私有地(イオンモール佐野新都市店)となっているため、見学できません |
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