出流原遺跡(いずるはらいせき)では、わずか34m四方(しほう)の範囲(はんい)から37の再葬墓(さいそうぼ)が発見され、約100点におよぶ壺(つぼ)と副葬品(ふくそうひん)の管玉(くだたま)50点などが出土(しゅつど)しました。再葬墓(さいそうぼ)とは、埋葬(まいそう)してしばらくたってから、骨(ほね)の一部をほりだして、壺(つぼ)などに入れて、ふたたび埋(う)めたもので、弥生時代(やよいじだい)の中ごろに、東日本で流行(りゅうこう)した埋葬(まいそう)の方法です。出流原遺跡(いずるはらいせき)を代表する特徴的(とくちょうてき)な遺物(いぶつ)に、「お宝ベスト5」でも紹介(しょうかい)した人面付土器(じんめんつきどき)があります。土器(どき)を人体にみたてて顔を立体的(りったいてき)に表現したもので、11点というもっとも多くの土器(どき)が出土(しゅつど)した出流原第11号墓壙(いずるはらだい11ごうぼこう)にともなっています。さて、出流原遺跡(いずるはらいせき)の場合もそうですが、再葬墓群(さいそうぼぐん)をつくる遺跡(いせき)やそのまわりでは、当時の人たちが生活した住居(たて穴建物)が発見されることはほとんどありません。これは、現在の墓地(ぼち)のように、生活する場所が違う人たちが、同じ場所に墓(はか)を作ることと似ています。
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発掘調査のようす 写真:佐野市立郷土博物館
人面付土器(第11号墓壙) 写真:明治大学博物館
土器出土時のようす(第11号墓壙)写真:明治大学博物館