摩利支天塚(まりしてんづか)・琵琶塚古墳(びわづかこふん)は、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)から後期(こうき)にかけてつくられた、栃木県(とちぎけん)最大級(さいだいきゅう)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。2つの古墳(こふん)とも、墳丘(ふんきゅう)は120mをこえ、まわりには二重(にじゅう)の周濠(しゅうごう)や土手がめぐります。摩利支天塚(まりしてんづか)は、前方部の中央がすこしつき出す「剣菱型(けんびしがた)」とよばれる特殊(とくしゅ)な形をしています。琵琶塚(びわづか)は、墳丘(ふんきゅう)の第一段目が平坦(へいたん)で幅(はば)広くつくられており、この地域(ちいき)に独特な「下野型(しもつけがた)古墳(こふん)」の始まりになる古墳(こふん)です。このあたりの平野の開発(かいはつ)に成功して生産力を高め、水陸交通の重要な場所であるこの地を抑(おさ)えて、強い支配力を発揮(はっき)した下野国(しもつけのくに)の「王者」の墓(はか)は、摩利支天塚(まりしてん)から琵琶塚(びわづか)へ受けつがれます。この2つの古墳(こふん)がつくられた後、この地域(ちいき)に次々と大型古墳(こふん)がきづかれます。さらに奈良時代になると、国庁(こくちょう)や国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶにじ)も置かれるなど、この地が下野国(しもつけのくに)の中心地となるのです。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
空からの眺め (左:摩利支天塚・右:琵琶塚古墳)
近景(琵琶塚古墳)
測量図 (下:摩利支天塚・上:琵琶塚古墳)