宇都宮(うつのみや)の市街地(しがいち)を取りかこむ宇都宮環状線(かんじょうせん)を車で走ると、とつぜん異様(いよう)な光景(こうけい)が目に飛びこんできます。それは、崖(がけ)のしゃ面に横から穴をほって墓(はか)にした長岡百穴古墳(ながおかひゃくあなこふん)、いわゆる横穴墓群(よこあなぼぐん)です。その数は東群44、西群8からなる52基(き)で、古墳時代後期(こふんじだいこうき)の終わりにつくられたと考えられています。
通常(つうじょう)、これらの内部に遺体(いたい)や副葬品(ふくそうひん)をおいて、入り口には木や石の扉(とびら)をつけたり、礫(れき)を積み上げたりして、入り口をふさぎます。しかし、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)に、すべての横穴墓(よこあなぼ)の内部に、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)や馬頭観音(ばとうかんのん)の像(ぞう)がほられてしまいました。そのため、外の空気にふれていた期間が長いことから、くずれたところも多く、保存状態(ほぞんじょうたい)が良いとはいえません。この横穴墓群(よこあなぼぐん)から400m北側の丘(おか)の上には、全長50mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の瓦塚古墳(かわらづかこふん)をふくむ40基(き)の瓦塚古墳群(こふんぐん)があります。
墳丘(ふんきゅう)をきずく古墳(こふん)と、崖(がけ)をくりぬく横穴墓(よこあなぼ)では、埋葬(まいそう)のしかたが違いますが、長岡百穴古墳(ながおかひゃくあなこふん)と瓦塚古墳群(かわらづかこふんぐん)は、場所が近いし、墓(はか)がきずかれた時期も重なるので、密接(みっせつ)な関係にあると考えられています。
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西側の横穴群(よこあなぐん)
奥壁に彫られた仏様(江戸時代)
東側の横穴群(よこあなぐん)