1884(明治17)年に、いまの東京大学(とうきょうだいがく)の近くの向ヶ丘(むこうがおか)弥生町(やよいまち)で、16才の学生が、いままで見たことのないような土器(どき)を発見しました。その土器(どき)は、貝塚(かいづか)からみつかる縄文土器(じょうもんどき)とはちがう特徴(とくちょう)を持っていたことから、「弥生土器(やよいどき)」と名づけられました。後に、この土器(どき)がつかわれる時代ということで、米づくりがはじまる弥生時代(やよいじだい)の名前のもととなりました。この土器(どき)が発見された弥生町遺跡(やよいまちいせき)の内容は、あまりよくわかっていないのですが、ムラをかこむ濠(ほり)や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)とよばれる有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)がみつかっています。
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近景
初めてみつかった「弥生」土器
方形周溝墓と壺