東京湾の西岸の武蔵野台地(むさしのだいち)の、南の端(はし)にある久が原台(くがはらだい)にあった、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろのムラです。遺跡(いせき)は、1927年に発見されました。遺跡(いせき)では、非常に多くの住居(たて穴建物)の跡(あと)がみつかり、焼けた建物の跡(あと)の中からは、焼けた米や木器(もっき)も出土(しゅつど)して、南関東の代表的な米づくりのムラとして注目されました。また、この遺跡(いせき)で出土(しゅつど)した山形文(やまがたもん)などの特徴的(とくちょうてき)な模様(もよう)のある土器(どき)のセットは、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろの土器(どき)のモデルとされ、「久ケ原式土器(くがはらしきどき)」という名がつきました。
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全景
山形文の個性的な壷
たて穴建物の跡
現在の様子 | 現在は、宅地化が進み、遺跡(いせき)全体を見ることはできませんが、久が原南台児童公園内に案内板があります |
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