東京都

久ヶ原遺跡

くがはらいせき

所在地東京都大田区久が原4~6丁目外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

東京湾の西岸の武蔵野台地(むさしのだいち)の、南の端(はし)にある久が原台(くがはらだい)にあった、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろのムラです。遺跡(いせき)は、1927年に発見されました。遺跡(いせき)では、非常に多くの住居(たて穴建物)の跡(あと)がみつかり、焼けた建物の跡(あと)の中からは、焼けた米や木器(もっき)も出土(しゅつど)して、南関東の代表的な米づくりのムラとして注目されました。また、この遺跡(いせき)で出土(しゅつど)した山形文(やまがたもん)などの特徴的(とくちょうてき)な模様(もよう)のある土器(どき)のセットは、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろの土器(どき)のモデルとされ、「久ケ原式土器(くがはらしきどき)」という名がつきました。

青文字の用語の解説は、用語集ページ

  • 全景

    全景

  •    山形文の個性的な壷

       山形文の個性的な壷

  • たて穴建物の跡

    たて穴建物の跡

現在の様子現在は、宅地化が進み、遺跡(いせき)全体を見ることはできませんが、久が原南台児童公園内に案内板があります
戻る
error: コンテンツは保護されています
ページトップへ戻る