1965年に、浄水場(じょうすいじょう)を作る工事中にみつかった遺跡(いせき)です。発掘調査(はっくつちょうさ)された遺跡(いせき)としては、兵庫県(ひょうごけん)で最も古い遺跡(いせき)の1つです。はじめは、遺跡(いせき)をこわして浄水場(じょうすいじょう)を作る予定でしたが、地元の人々や考古学(こうこがく)の研究者(けんきゅうしゃ)によって、遺跡(いせき)を守ろうという運動がおきて、遺跡(いせき)の一部が残され、遺跡(いせき)の公園になりました。遺跡(いせき)は、弥生時代(やよいじだい)の前期から後期まで続いており、弥生時代(やよいじだい)の人骨(じんこつ)が残っていた木棺(もっかん)が全国で初めてみつかったり、アクセサリーをつけた人骨(じんこつ)もあったりなど、お墓(はか)の様子がわかってきました。「銅剣鋳型(どうけんいがた)」「白銅製釧(はくどうせいくしろ」「碧玉製管玉(へきぎょくせいくだだま)」は、それぞれ県の指定文化財に登録されています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
銅剣(どうけん)の鋳型(いがた)
ゴホウラの貝輪「白銅製 釧」
碧玉製(へきぎょくせい)のくだ玉