京都盆地(きょうとぼんち)の西部、嵯峨野(さがの)台地の南に位置しています。6世紀末から7世紀初めくらいに作られた古墳(こふん)です。古墳(こふん)の墳丘(ふんきゅう)はすでに失われ、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)のみが残されていますが、本来は、墳丘(ふんきゅう)の長さ75m以上の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。現在の宅地(たくち)の区画(くかく)をみると、家が前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の形にたちならんでいることからも、この古墳(こふん)が前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)であったことがわかります。横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の長さは17.8mです。実際(じっさい)に人が埋葬(まいそう)された玄室(げんしつ)とよばれる部屋は、長さ6.8m、幅(はば)3.8m、高さ5.2mで、広さでは全国で4番目に大きなものです。また、同じころにつくられた、巨大(きょだい)な石で作られた石室(せきしつ)で有名な奈良県(ならけん)明日香村(あすかむら)の石舞台古墳(いしぶたいこふん)の石室(せきしつ)と比べても、ひけを取らない大きさです。
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全景(南東から)
玄室から羨道(せんどう)を見る
古墳の輪郭(りんかく)