長岡京は桓武天皇が営んだ古代の首都で、784年に平城京(奈良県奈良市)から都が遷されました。ただ、794年には平安京に再度の都うつりがなされていますので、わずか10年という短い期間だけの都でした。「長岡」とは、この地の真ん中に北から南へと延びている長い丘陵にちなんだ地名でした。近くに流れている桂川から船に乗ると淀川を経由して一気に大阪湾まで出ることができ、長岡京の場所が水上交通の便利なところであったことがわかります。長岡京の跡は現在はほとんど市街地になってしまっていますので発掘調査はなかなかやりにくいのですが、それでも長年の調査によって都の様子が明らかになってきました。昔は、わずか10年しか続かなかった都ですから、長岡京はほとんどできていなかったのではないかと考えられたこともありましたが、これはまちがいで、宮殿や都市はかなり完成していたことがわかっています。京都と大阪を結ぶ阪急電車の「西向日(にしむこう)駅」で下車すると、目の前に「長岡宮(なかおかきゅう)朝堂院(ちょうどういん)」の跡の一部を保存した公園があります。朝堂院とは国の大事な儀式に使われる施設で、まさに都の中心となる場所です。最近の発掘調査では、長岡宮の朝堂院は、南の門の左右に立派な2階建の楼閣(ろうかく)があることがわかりました。朝堂院跡の公園から北へしばらく歩くと、朝堂院の中で一番重要な建物で、天皇の座る場所となっていた大極殿(だいごくでん)の跡の公園があります。さらに、大極殿跡の東側で阪急電車の線路をくぐりぬけたところにあるお寺(北真経寺)のあたりが、桓武天皇が暮らしていた内裏(だいり)の跡です。
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