平安時代後期の11世紀から12世紀にかけては、天皇の父親である上皇(じょうこう)が政治の実権を握る「院政(いんせい)」という政治のやりかたが行われるようになりました。院政を始めたのが白河上皇です。絶大な権力を手にした白河上皇は、平安京の中にたくさんの御所(ごしょ)を造るとともに、平安京の南の郊外に鳥羽殿という別荘を営みました。天皇の別荘のことを「離宮(りきゅう)」と言いますので、鳥羽殿は鳥羽離宮と呼ばれることもあります。鳥羽殿は少なくとも東西約1.1km、南北約0.9kmにも及ぶ巨大な離宮で、別荘というよりもひとつの大きな都市というべきかもしれません。鳥羽殿の場所は桂川と鴨川というふたつの川の合流地点で、もともとはジュクジュクと湿った土地でしたが、逆にこれを利用することによって大きな池を造り、それを庭園に取り込んだのです。白河上皇はこの池庭がすごく自慢で、日本の中でもこれほど景色のきれいなところはめったにないと誇っていたといいます。また、その池の周りにはいくつもの大きな御堂(みどう)や塔、つまり仏様をまつる建物が建てられていました。これは仏様をまつるといっても普通のお寺とはちょっと違っていて、鳥羽殿の主人である上皇たち(白河上皇、その孫の鳥羽上皇)が信仰を深めるための個人的な施設でした。また、白河上皇、鳥羽上皇、そして近衛天皇といった人々は、亡くなった後にはこうした御堂や塔の下に葬られています。たとえば、近鉄電車の竹田駅の西南の方向に見える立派な塔は、近衛天皇の御陵です。つまり、鳥羽殿は彼ら天皇たちが永遠の眠りにつく場所でもあったのです。なお、今は自動車の交通安全の神様として知られている城南宮(じょうなんぐう)という神社は、もともとは鳥羽殿の中にあった馬場殿(ばばどの。乗馬をするための施設)を守るための神社でした。
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現在の様子 | 現在は、「南殿跡(みなみどのあと)」が国の史跡として指定(してい)され、史跡公園(しせきこうえん)として整備(せいび)されています |
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