京都府

法勝寺跡

ほうしょうじあと

所在地京都府京都市左京区岡崎法勝寺町外部リンクGooglemap

主な時代平安時代

平安時代後期(11世紀)に院政をひらいた白河上皇は、平安京の東の郊外に巨大なお寺を造ることにしました。この場所は、比叡山から流れてくる白川という綺麗な川の近くでしたので、土地の名前も「白河」と名付けられていました。白河上皇をはじめとする代々の天皇や皇后はここにいくつものお寺を造ったのです。これが、法勝寺(ほっしょうじ)、尊勝寺(そんしょうじ)、最勝寺(さいしょうじ)、成勝寺(じょうしょうじ)、円勝寺(えんしょうじ)、延勝寺(えんしょうじ)というものです。いずれも「勝」という字を使っていますので、「6つの勝の寺」つまり「六勝寺(ろくしょうじ、りくしょうじ)」とよばれています。この中でも最も大きかったのが、白河上皇が建てた法勝寺です。おそらくこの寺は、南北約300m、東西約200mくらいはあったと思われます。法勝寺の真ん中には、高さ81mという巨大な塔が建っていました。この塔は、古代の日本においては一番背の高い建築物でした。しかも、ふつうの塔は平面が正方形で、三重塔とか五重塔とかなのですが、法勝寺の塔は平面が八角形で、しかも九重塔というユニークなものでした。白河上皇という人がいかに巨大な建築物が好きであったかがよくわかります。白河の地は東日本から京都にはいってくる東海道の終着点にあたっていましたから、そうした旅人はこの塔を見て腰を抜かさんばかりに驚いたのではないでしょうか。白河の六勝寺の跡は、現在の京都市左京区の岡崎公園にあたっています。岡崎公園は動物園、美術館、コンサートのホールなどが集まる、京都の文化的な中心地です。岡崎公園のあちこちには、六勝寺の跡を示す石碑や説明板が建てられています。法勝寺の跡の南半分は、現在は京都市動物園になっています。最近、動物園の中での発掘調査によって、法勝寺の八角九重塔の基礎の跡が発見されました。八角形の大きな穴を掘り、その中に大きな石や粘土を突き固めることによって硬い地盤を作っていました。このような巨大な建物を建てるには基礎工事をきちんとやっておくことが重要だということをよくあらわしています。

 

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現在の様子現在、京都市動物園の中に、石碑(せきひ)や説明板(せつめいばん)があります
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