縄文時代(じょうもんじだい)の中期(ちゅうき)・後期(こうき)・晩期(ばんき)、それに7世紀の飛鳥時代(あすかじだい)のムラが、たび重なる宮川(みやがわ)の洪水(こうずい)の砂でおおわれた状態で発見されました。注目されるのは、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)から晩期(ばんき)にかけての遺物(いぶつ)です。見つかった住居(たてあな建物)の跡(あと)は12軒(けん)ですが、出土(しゅつど)した土器(どき)・石器(せっき)はとても多く、特に東北(とうほく)や中部高地(ちゅうぶこうち)、北陸(ほくりく)など他の地域(ちいき)の土器(どき)が多く出土(しゅつど)したことと、「朱(しゅ)」とよばれる赤色顔料(せきしょくがんりょう)が付いた土器(どき)や石器(せっき)がたくさん出土(しゅつど)したことが注目されました。朱(しゅ)は、辰砂(しんしゃ)とよばれる水銀(すいぎん)から作られるので、鮮(あざ)やかな赤色になるのが特徴(とくちょう)です。水銀(すいぎん)は、銅(どう)の鋳造(ちゅうぞう)に欠かせない鉱物(こうぶつ)として、奈良(なら)の大仏(だいぶつ)の鋳造(ちゅうぞう)にも用いられましたが、森添遺跡(もりぞえいせき)の発掘(はっくつ)によって、その開発が縄文時代(じょうもんじだい)にさかのぼり、それが伊勢(いせ)の地で行われていたことが明らかとなりました。
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