柘植川(つげがわ)左岸(さがん)の丘(おか)の上につくられた全長188mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、東海地方(とうかいちほう)で最大の大きさです。発掘調査(はっくつちょうさ)は行われていませんが、古墳(こふん)の表面はふき石でおおわれていたらしく、大量(たいりょう)の石材(せきざい)がところどころに見えています。傘(かさ)の形をした埴輪(はにわ)や、円筒埴輪(えんとうはにわ)とよばれる筒(つつ)のような形の埴輪(はにわ)、それに家の形をした埴輪(はにわ)の破片(はへん)がひろわれており、その埴輪(はにわ)の特徴(とくちょう)から、5世紀前半につくられたと考えられています。近くには、奈良時代(ならじだい)に伊賀国(いがのくに)の役所(やくしょ)が置かれた伊賀国庁(いがこくちょう)があり、古い時代の東海道(とうかいどう)も、この古墳(こふん)の近くを通っていたと考えられるなど、古代の伊賀(いが)の中心地にあって、伊賀(いが)を支配した王がほうむられた古墳(こふん)と考えられるでしょう。
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