湧水(わきみず)を用いて、水の祭りを行った祭り場の遺跡(いせき)です。きれいな水がわく3か所の井戸(いど)から流れ出た水を通す溝(みぞ)に石を貼(は)って並べて、水の合流点(ごうりゅうてん)に石を立てるなど、たくさんの石を使って作られた、とても大きな祭り場は、曲線的(きょくせんてき)な美しさがあり、後の時代につくられる庭園(ていえん)を思わせる形です。溝(みぞ)からは、祭りに使われたとみられる土器(どき)や木製(もくせい)の刀などがたくさん出土(しゅつど)しており、ここが祭り場の遺跡(いせき)であったことを示しています。近くには、古墳時代(こふんじだい)としては、日本でもトップクラスの大きさをもつ大型(おおがた)のほったて柱建物(ほったてばしらたてもの)があり、この祭りを行った人物が地域(ちいき)を代表する首長(王)であったことがわかります。庭(にわ)は、もともと神さまを招(まね)いて祭(まつ)りをする場のことをいいます。城之越遺跡(じょのこしいせき)は、まさに日本の「庭(にわ)」の元(もと)となる遺跡(いせき)ということができるでしょう。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
現在の様子 | 現在は、その庭の美しさから、「国の名勝史跡」として指定されています |
---|