宮滝遺跡(みやたきいせき)は、縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろの遺跡(いせき)です。この遺跡(いせき)は、吉野川(紀ノ川)ぞいのムラで、まわりを山でかこまれたせまい範囲(はんい)に広がっています。斧(おの)や鍬(くわ)などの石器(せっき)、川で魚をつかまえる漁に使われた石の錘(おもり)は、山や川で暮(く)らした縄文人(じょうもんじん)の生活を知る手がかりです。ここでは、弥生時代(やよいじだい)の中ごろの、壺(つぼ)のなかに子どもを埋葬(まいそう)した壺棺墓(つぼかんぼ)が数多くみつかっています。米の収穫(しゅうかく)に使われた石庖丁(いしぼうちょう)などはほとんどなく、石鍬(いしぐわ)とよばれる打製石器(だせいせっき)の土をほる道具がたくさんみつかるので、縄文時代(じょうもんじだい)以来の川漁や山村で暮(く)らす生活を残していたのではないかと考えられています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
上空からの眺(なが)め
宮滝式 土器(どき)
壷棺(つぼかん)