秋津遺跡(あきついせき)と中西遺跡(なかにしいせき)は、大和盆地(やまとぼんち)の西南部に広がっています。縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)からムラがはじまります。弥生時代前期(やよいじだいぜんき)に田んぼがつくられました。田んぼは5万㎡以上あり、東京ドームよりも広い面積です。
古墳時代前期(こふんじだいぜんき)には、祭りをおこなった祭殿(さいでん)とみられる大型建物(おおがたたてもの)の跡(あと)と、81軒(けん)ものたて穴建物の跡(あと)がみつかっています。大型建物(おおがたたてもの)は、いまの神社の建物のように、独立棟持柱(どくりつむなもちばしら)をもつ特別な造(つく)りで、塀(へい)でかこまれているところも、神社に似ています。ムラは、祭りのエリアと住まいのエリアな溝(みぞ)で分けられ、26軒(けん)の建物は方向をそろえて並んでいました。この遺跡(いせき)も、纏向遺跡(まきむくいせき)と同じように、ふつうのムラではなく、ヤマト政権(せいけん)もかかわる大規模(だいきぼ)な、祭りをおこなうための特別なムラだと考えられます。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
全景/中西遺跡(第18次調査)
埋没した里山の樹木/中西遺跡(第15次調査)
発掘調査のようす/秋津遺跡