平城宮(へいじょうきゅう)は、平城京(へいじょうきょう/今の奈良県・ならけん)の北の端(はし)にあたり、天皇(てんのう)が⽣活する内裏(だいり)や重要(じゅうよう)な役所(やくしょ)がおかれた中⼼でした。現在、平城宮(へいじょうきゅう)にあたるほとんどの場所は、国の特別史跡(とくべつしせき)になっていて、発掘調査(はっくつちょうさ)が進められてきました。それでも全体の40%くらいで、全体はまだわかりません。平城宮(へいじょうきゅう)のなかに、どういう役所が並んでいたのか?という地図のようなものは、残っていません。しかし、発掘調査(はっくつちょうさ)をすると、⼟の中から、役所(やくしょ)の名前を書いた⽊簡(もっかん)や墨書⼟器(ぼくしょどき)などが出⼟(しゅつど)することがあります。こういう⼿がかりをもとに、どこに何があったのかを推定(すいてい)するのです。まるで、巨⼤(きょだい)なジグソーパズルのようですね。
現在、平城宮(へいじょうきゅう)は、歴史公園として、遺跡(いせき)全体を博物館(はくぶつかん)にしようとする工事が進められています。発掘調査(はっくつちょうさ)でみつかった⼿がかりをもとに、奈良時代の「⼤極殿(だいごくでん)」や「朱雀⾨(すざくもん)」などが復元(ふくげん)されています。
写真提供:奈良⽂化財研究所
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空から見た「平城宮」のすがた
発掘調査でみつかった建物跡
「第⼀次⼤極殿院」の復元模型
現在の様子 | 2022年春の完成をめざしている「大極殿(だいごくでん)」南門の工事では、大工さんたちが伝統的(でんとうてき)な⽅法で建物を復元(ふくげん)するようすをみることができます |
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