旧石器時代(きゅうせっきじだい)から中世(ちゅうせい)まで、各時代の重要な発見が知られる大きなムラの跡(あと)です。旧石器時代(きゅうっせっきじだい)の瀬戸内技法(せとうちぎほう)とよばれる近畿(きんき)地方で発達した石を割(わ)る技術(ぎじゅつ)でつくった国府(こう)型ナイフ形石器(せっき)という、とがったナイフのような石器(せっき)の、名前のもとになった石器(せっき)がみつかった遺跡(いせき)です。この遺跡(いせき)からは、縄文時代(じょうもんじだい)から弥生時代(やよいじだい)の人骨(じんこつ)90人分が出土(しゅつど)しています。これらの人骨(じんこつ)は、縄文時代(じょうもんじだい)の人々が身につけた玦状耳飾(けつじょうみみかざり)というアクセサリーをつけていたり、抜歯(ばっし)や叉状研歯(さじょうけんし)などがみつかり、縄文時代(じょうもんじだい)の習慣(しゅうかん)や決まりごとを知る重要(じゅうよう)な資料(しりょう)となりました。
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近景
出土した耳飾り
国府型(こうがた)ナイフ形石器
現在の様子 | 現在は、史跡 国府遺跡公園(しせき こういせきこうえん)として整備されています |
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