千里(せんり)丘陵の東に広がる平野にある弥生時代(やよいじだい)の遺跡(いせき)です。弥生時代(やよいじだい)のマツリの道具である銅鐸(どうたく)の鋳型(いがた)がみつかったことで有名になりました。弥生時代(やよいじだい)を通じて、人々が暮(く)らした跡(あと)が確認されていますが、特に弥生時代(やよいじだい)の中ごろには、何重(なんじゅう)もの濠(ほり)でかこまれた範囲(はんい)に多くの人が暮(く)らしていたようで、住居(たて穴建物)や倉庫(そうこ/ほったて柱建物)の跡(あと)、井戸などがみつかっています。また、村のはずれには、墓地(ぼち)もみつかっています。銅鐸(どうたく)をはじめとする青銅器(せいどうき)がたくさん作られたのもこの時期で、これまでに銅鐸の鋳型(いがた)が36個、銅戈(どうか)の鋳型(いがた)が3個みつかっています。また、ムラをめぐる濠(ほり)の中に捨てられた、小さな銅鐸(どうたく)も出土(しゅつど)しています。日本での金属(きんぞく)の利用は弥生時代(やよいじだい)に始まりますが、この遺跡(いせき)は弥生時代(やよいじだい)の青銅器(せいどうき)の生産の中心となった遺跡(いせき)の一つと考えられます。
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上空からの眺め
銅鐸の鋳型など出土物の集合 (文化庁 所蔵)
発見された住宅の跡