羽曳野市(はびきのし)から藤井寺市(ふじいでらし)にかけてつくられた、大小約100基(き)の古墳(こふん)からなる古墳群(こふんぐん)です。すでにこわされた古墳(こふん)も多いのですが、現在44基(き)の古墳(こふん)が残っています。5世紀から6世紀にかけて、百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)と同じように、大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が相次(あいつ)いでつくられました。
5世紀初めごろに築造(ちくぞう)された誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん/別称「応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)」)は、墳丘(ふんきゅう)の長さ425mで、全国第2位の大きさです。また、大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)だけでなく、小さな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)や円墳(えんぷん)、方墳(ほうふん)など、さまざまな大きさや形の古墳(こふん)が見られることも特徴(とくちょう)です。つまり、大王(おおきみ)だけではなく、それを支えた多くの人たちが、同じ場所に古墳(こふん)をつくったと考えられています。古墳(こふん)に並べる埴輪(はにわ)を焼いた窯跡(かまあと)のほか、三ツ塚古墳(みつづかこふん)からは、重い荷物を運(はこ)んだと考えられる大きな木ぞり「修羅(しゅら)」がみつかっています。
また、峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん)では後円部(こうえんぶ)の発掘(はっくつ)で石室(せきしつ)がみつかり、中からたくさんの副葬品(ふくそうひん)が出土(しゅつど)しました。とりわけ、日本列島(れっとう)の古墳(こふん)ではあまり出土例(しゅつどれい)のない「魚佩(ぎょはい)」とよばれる魚を形どった飾(かざ)り金具がみつかっています。銅板(どうばん)に金メッキがほどこされ、今でも金色に輝(かがや)いています。こうした出土品(しゅつどひん)から、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)と交流(こうりゅう)があったことがわかります。
写真提供:羽曳野市教育委員会
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誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)
峯ヶ塚古墳出土の魚佩
茶山遺跡から出土した様々な埴輪