石山貝塚(かいづか)は、縄文時代(じょうもんじだい)の貝塚(かいづか)として広く知られている遺跡(いせき)です。1941(昭和16)年から、何度かの調査(ちょうさ)が行われています。貝の層(そう)は、厚(あつ)いところでは2mにもなり、その中にはたくさんの土器(どき)もありました。貝は、いくつもの層(そう)になって積(つ)みかさなっています。上の方の層(そう)は新しく、下の層(そう)は古いので、出土(しゅつど)した土器(どき)を層(そう)ごとに分けることにより、縄文時代(じょうもんじだい)の土器(どき)の形やもようが、時代とともにどのように変わっていったかを明らかにすることができました。この時の調査(ちょうさ)の成果(せいか)は、発掘調査(はっくつちょうさ)の基本(きほん)を示す資料(しりょう)として、今も使われています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
貝塚の断層(だんそう)
発掘のようす
貝塚の断面(だんめん)
現在の様子 | 石山寺の南東に位置し、現在は、参拝客用の食事処や土産店がならぶ、山裾(やますそ)に残っています |
---|