滋賀里(しがさと)のあたりでは、古くから土器(どき)や石器(せっき)が出土(しゅつど)することが知られていました。1971(昭和46)年には、国鉄(いまのJR)の湖西(こせい)線をつくる時に、大規模(だいきぼ)な発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、その後もたびたび調査(ちょうさ)がおこなわれています。調査(ちょうさ)では、縄文時代(じょうもんじだい)の墓地(ぼち)や貝塚(かいづか)、弥生時代(やよいじだい)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、古墳時代(こふんじだい)から奈良・平安時代(なら・へいあんじだい)のムラなどがみつかっています。縄文時代(じょうもんじだい)の墓地(ぼち)では、地面に穴(あな)を掘(ほ)って、遺体(いたい)をいれた甕棺(かめかん)をうめた甕棺墓(かめかんぼ)が100基(き)以上発見されています。また、貝塚(かいづか)などからは、当時の土器(どき)や木製品(もくせいひん)などがたくさん出土(しゅつど)しています。
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発掘のようす
土器棺墓(どきかんぼ)
屈葬(くっそう)のようす
現在の様子 | 現在は、住宅地となtぅているため見学できません |
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