滋賀県

滋賀里遺跡

しがさといせき

所在地滋賀県大津市滋賀里1丁目 ほか外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

滋賀里(しがさと)のあたりでは、古くから土器(どき)や石器(せっき)が出土(しゅつど)することが知られていました。1971(昭和46)年には、国鉄(いまのJR)の湖西(こせい)線をつくる時に、大規模(だいきぼ)な発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、その後もたびたび調査(ちょうさ)がおこなわれています。調査(ちょうさ)では、縄文時代(じょうもんじだい)の墓地(ぼち)や貝塚(かいづか)、弥生時代(やよいじだい)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、古墳時代(こふんじだい)から奈良・平安時代(なら・へいあんじだい)のムラなどがみつかっています。縄文時代(じょうもんじだい)の墓地(ぼち)では、地面に穴(あな)を掘(ほ)って、遺体(いたい)をいれた甕棺(かめかん)をうめた甕棺墓(かめかんぼ)が100基(き)以上発見されています。また、貝塚(かいづか)などからは、当時の土器(どき)や木製品(もくせいひん)などがたくさん出土(しゅつど)しています。

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  •    発掘のようす

       発掘のようす

  • 土器棺墓(どきかんぼ)

    土器棺墓(どきかんぼ)

  •    屈葬(くっそう)のようす

       屈葬(くっそう)のようす

現在の様子現在は、住宅地となtぅているため見学できません
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