この遺跡(いせき)は、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)のムラです。遺跡(いせき)は、滋賀県(しがけん)でいちばん大きい内湖(ないこ)だった「大中の湖(だいなかのこ)」の埋(う)め立てにともない、発見されました。1964年から3年間、発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、ほったて柱建物がたつ住まいの地区(ちく)、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)のある墓(はか)の地区(ちく)、田んぼの跡(あと)などが発見されました。田んぼの跡(あと)では、矢板(やいた)や杭(くい)を使ってくずれないように作られた水路(すいろ)がみつかっており、高い土木技術(どぼくぎじゅつ)をもっていたことがわかります。
また、水中に埋(う)もれていたため、たくさんの木製品(もくせいひん)が出土(しゅつど)しました。木製品(もくせいひん)の中には、作りかけの農具(のうぐ)が多くあり、このムラが他のムラに農具(のうぐ)を与える、地域(ちいき)の中心になるムラであったことがわかります。
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現在の様子 | 現在は、石碑(せきひ)と案内板(あんないばん)、復元(ふくげん)された住居「たて穴建物」があります。出土品(しゅつどひん)は、「滋賀県立安土城考古博物館」で見ることができます |
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