遺跡(いせき)は、日高川(ひだかがわ)の河口(かこう)に近い平野にいとなまれた弥生時代(やよいじだい)のムラです。ムラは、3本の環濠(かんごう)でかこまれています。ムラは短期間しか続かなかったようですが、環濠集落(かんごうしゅうらく)としての大きさや内容は、全国的にみてもすぐれた遺跡(いせき)です。このムラは、平野の少ない紀伊半島(きいはんとう)の南部では、めだつ存在(そんざい)です。ムラの一部を調査(ちょうさ)しただけですが、ムラをめぐる環濠(かんごう)、住居(たて穴建物)、倉庫(そうこ ほったて柱建物)、青銅器(せいどうき)を作った炉(ろ)の跡(あと)、土坑(どこう)などが発見されています。土器(どき)は、土器(どき)を作った粘土(ねんど)や形、もようなどから、他の地域(ちいき)から持ち込まれたものと、地元で作られたものに分けることができます。この遺跡(いせき)では、東は東海(とうかい)地方の土器(どき)、西は大阪(おおさか)や奈良(なら)の土器(どき)が出土(しゅつど)しており、海を利用した活発な交流があったことを示しています。
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現在の様子 | 見学はできません。 |
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