和歌山県

笠島遺跡

かさしまいせき

所在地和歌山県西牟婁郡串本町外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

笠島遺跡(かさしまいせき)は、紀伊半島(きいはんとう)の先端(せんたん)の潮岬(しおのみさき)が、本州と結びついた砂州(さす)の上にいとなまれた、古墳時代(こふんじだい)の初めごろの漁民(ぎょみん)のムラです。砂州(さす)の東は、大島(おおしま)、通夜島(つやじま)、苗我島(みょうがじま)があって、湾内(わんない)は天然(てんねん)の港となっています。遺跡(いせき)は、1953年に県立(けんりつ)串本(くしもと)高校の運動場をつくる時に、木器(もっき)や土器片(どきへん)が出土(しゅつど)したことがきっかけで、発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれました。紀伊半島(きいはんとう)の沖(おき)には、黒潮(くろしお)が流れているため、さまざまな漁具(ぎょぐ)とともに、カツオ、サメ、エイなどの外遊性(がいゆうせい)の魚の骨(ほね)が出土(しゅつど)しています。また、大きな(かめ)が13個出土(しゅつど)して、「カツオの煮(に)たき用の(かめ)」と考えられています。このムラは、古墳時代(こふんじだい)の初めごろに紀伊半島(きいはんとう)をおそった大津波(つなみ)によってなくなったと考えられます。

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現在の様子見学はできません。
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