和歌山県

西庄遺跡

にしのしょういせき

所在地和和歌山県歌山市西庄・磯ノ浦外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代~古墳時代

紀伊半島(きいはんとう)の北西の端(はし)、和歌浦湾(わかのうらわん)をのぞむ海辺(うみべ)にいとなまれた、古墳時代(こふんじだい)のムラです。ムラは東西700m、南北400mの広がりをもちますが、古墳時代(こふんじだい)の生活の跡(あと)が集中するのは東西300mほどで、中央が住まいのエリア、その西側が作業をするエリア、東側が墓地(ぼち)になっています。発掘調査(はっくつちょうさ)によって、5世紀後半から6世紀初の住居(たて穴建物)38軒(けん)、倉庫(そうこ ほったて柱建物)11棟(とう)、石をしいた塩作りの炉(ろ)16基(き)以上、古墳(こふん)5基(き)がみつかりました。住居(たて穴建物)の跡(あと)から、海水をにつめて塩をつくるための製塩土器(せいえんどき)、鉄(てつ)のつり針・鹿角(ろっかく)製のつり針、疑似餌(ぎじえ)、魚をとる網(あみ)につける土製(どせい)のおもりなど、塩づくりと漁(りょう)にともなう道具がたくさん出土(しゅつど)しています。いろいろな魚の骨(ほね)や貝がらも、たくさん出土(しゅつど)しました。このムラは、これまで知られていなかった紀伊(きい)の海民(かいみん)のくらしぶりをおしえてくれる重要な遺跡(いせき)であるだけでなく、西日本のなかでも貴重(きちょう)な古墳時代(こふんじだい)の遺跡(いせき)です。

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現在の様子石敷炉は紀伊風土記の丘に移築しています。
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