和歌山県

鳴滝遺跡

なるたきいせき

所在地和歌山県和歌山市善明寺外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

遺跡(いせき)は、紀ノ川(きのかわ)の支流(しりゅう)・鳴滝川(なるたきがわ)右岸の背見山(せみやま)丘陵(きょうりょう)のいちばん奥(おく)にあり、遺跡(いせき)の前には鳴滝古墳群(なるたきこふんぐん)があります。遺跡(いせき)は、棟持柱(むなもちばしら)をもつ大型(おおがた)のほったて柱建物 7棟(とう)がきれいに並ぶ倉庫群(そうこぐん)です。建物の柱をぬきとった穴(あな)から、大型(おおがた)の須恵器(すえき)の(かめ)がわられた状態で出土(しゅつど)しました。その須恵器(すえき)の年代から、5世紀前半の倉庫群(そうこぐん)であることがわかりました。7つの建物は、1辺の長さが7~10m、最大(さいだい)の建物は面積82㎡もあり、古墳時代(こふんじだい)としては全国的にみても大型(おおがた)です。この遺跡(いせき)から出土(しゅつど)した土器(どき)は、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の影響(えいきょう)をうけた土器(どき)です。
この巨大(きょだい)な倉庫群(そうこぐん)は、ヤマト政権(せいけん)の武器をおさめた庫(くら)とする説もありますが、紀ノ川(きのがわ)の河口(かこう)近くにあることから、港とかかわる施設(しせつ)かもしれません。ここは、海と陸の交通の重要な場所であり、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)との外交で活躍(かつやく)した地元の有力者(ううりょくしゃ)・紀氏(きし)との関係も、考える必要があるでしょう。

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