3世紀に書かれた中国の歴史書『魏志』倭人伝によると、現在の福岡県糸島市のあたりに、伊都国(いとこく)いう国があったと書かれています。三雲南小路遺跡(みくもいみなみしょうじいせき)は、伊都国(いとこく)の王のお墓(はか)がみつかった遺跡(いせき)です。須玖岡本遺跡(すくおかもといせき)と同じように、中国の銅鏡(どうきょう)、剣(けん)や矛(ほこ)などの武器、まが玉などの首かざりが見つかりました。王の墓(はか)のすぐ横には、もう一つお墓がみつかっており、こちらでは銅鏡(どうきょう)と首かざりしかみつかっていないことから、王の妃(きさき)のお墓(はか)の可能性もあります。お墓(はか)が江戸時代に見つかったことから、銅鏡(どうきょう)など出てきたものの多くは、現在ほとんど残っていません。
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