鹿児島県

高橋貝塚

たかはしかいづか

所在地鹿児島県南さつま市金峰町高橋93付近外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代前期

高橋貝塚(たかはしかいづか)は、玉手神社(たまてじんじゃ)の境内(けいだい)にある縄文時代(じょうもんじだい)の終わり頃から弥生時代(やよいじだい)の中頃の貝塚(かいづか)です。貝塚(かいづか)は、吹上浜(ふきあげはま)から広がる砂丘の端、標高(ひょうこう)11mのシラス台地の上にあります。この遺跡(いせき)で出土した土器(どき)群は、弥生時代前期(やよいじだいぜんき)の鹿児島県(かごしまけん)の土器(どき)を代表するものとして、「高橋Ⅰ式」「高橋Ⅱ式」とよばれ、有名です。その高橋Ⅱ式土器(どき)と一緒に、稲(いね)の穂(ほ)をかる石包丁(いしぼうちょう)や、米作りとともに朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わってきた新しいタイプの石斧(いしおの)などがみつかったことから、北部九州の影響(えいきょう)のもと、この頃に鹿児島県(かごしまけん)で米づくりが本格的に始まったと考えられています。また、ゴホウラとよばれる琉球(りゅうきゅう)列島の大型の巻貝(まきがい)でつくられたうで輪(わ)や、オオツタノハ貝でつくられたうで輪(わ)も出土(しゅつど)していて、琉球(りゅうきゅう)列島の島々とも、交易(こうえき)をしていたこともわかりました。吹上浜は、北部九州の人々と南の島の人々が出会う場所だったのかもしれませんね。そのほか、住居(たて穴建物)の跡(あと)、貯蔵穴(ちょぞうけつ)、壺棺(つぼかん)、くだ玉、鉄器(てっき)なども出土(しゅつど)しています。

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