鹿児島県

別府原古墳群

びゅうばるこふんぐん

所在地鹿児島県薩摩郡さつま町永野別府原外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代後期~前期

別府原古墳群(びゅうばるこふん)は、シラス台地につくられた5世紀末~6世紀頃の墓地(ぼち)で、地下式板石積石室墓(ちかしきいたいしづみせきしつぼ)とよばれる南九州独特(どくとく)のお墓(はか)が9基(き)あります。このお墓(はか)は、たて穴をほり、平たい石を使って石室(せきしつ)をつくり、亡くなった人を埋葬(まいそう)したあと、板のような平たい石を積み上げ墓穴(はかあな)をふさぐというものです。積み上げられた板石の中には、赤く色をぬったものもありました。副葬品(ふくそうひん)は、鉄の矢じり、鉄の剣(けん)、鉄の刀(かたな)など、すべて武器(ぶき)でした。ちなみに、この頃の種子島や奄美の遺跡からは、武器はみつからず、貝のアクセサリーなどのファッションアイテムばかりが発掘されます。そこで、独特(どくとく)の墓(はか)の作り方と副葬(ふくそう)されたたくさんの武器(ぶき)から、地下式板石積石室墓(ちかしきいたいしづみせきしつぼ)は、勇敢(ゆうかん)な「隼人(はやと)」の墓(はか)ではないか、と考える研究者もいます。

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現在の様子9基(き)の地下式板石積石室墓(ちかしきいたいしづみせきしつぼ)のうち6基(き)は遺跡公園(いせきこうえん)で公開(こうかい)されています。
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