鹿児島県

橋牟礼川遺跡

はしむれかわいせき

所在地鹿児島県指宿市十二町外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代後期~古代

橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)は、1918~19(大正7~8)年に行われた発掘によって、縄文土器(じょうもんどき)が弥生土器(やよいどき)より古い土器(どき)であることが、初めて明らかになったことで有名な遺跡(いせき)です。また、874年の開聞岳(かいもんだけ)の噴火で埋もれた当時のムラの跡が発見され、「東洋のポンペイ」と呼ばれています。この時の噴火の火山灰(かざんばい)の下からは、建物だけでなく、畑や道、貝塚(かいづか)などがみつかり、平安時代(へいあんじだい)のムラがそのまま火山灰に埋(う)もれていたことがわかっています。この遺跡(いせき)からは、古墳時代(こふんじだい)から7世紀頃、隼人(はやと)とよばれたこの地域の人々が活躍(かつやく)した時代のムラもみつかっています。この遺跡(いせき)は、隼人(はやと)の歴史を研究する上でも重要な遺跡(いせき)です。

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