方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき)は、弥生時代(やよいじだい)から古墳時代(こふんじだい)までの、地域の中心になるムラです。菊池川(きくちがわ)にのぞむ台地(だいち)の上に、甲子園球場(こうしえんきゅうじょう)と同じ広さのムラがありました。ムラのまわりは、大きな溝(みぞ)と崖面(がけ)でかこみ、100軒(けん)以上の家と鉄器をつくる鍛冶屋(かじや)が、溝(みぞ)で仕切られ、建ちならびます。
出土品(しゅつどひん)には、巴形銅器(ともえがたどうき)・銅鏡(どうきょう)・矢じりなどの青銅器(せいどうき)や農具・工具・武具(ぶぐ)などの鉄器(てっき)、いろいろな形の土器(どき)がいっぱいです。ビールジョッキそっくりのジョッキ形土器(どき)、かんぬき扉(とびら)がついた家形土器(いえがたどき)もあります。そうそう、阿蘇黄土(あそおうど)をあぶってベンガラをつくった甕(かめ)、辰砂(しんしゃ、水銀朱)をくだく石の杵(きね)など、赤色顔料(せきしょくがんりょう)をつくる道具もありました。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ