岩原双子塚古墳(いわばるふたごつかこふん)は、菊鹿盆地(きくかぼんち)の西のはし、菊池川(きくちがわ)が西から南に流れをかえる丘の上に築かれた、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。墳丘(ふんきゅう)の長さは107mで、きれいな盾(たて)形をした周濠(しゅうごう、まわりをかむ溝)にかこまれています。ふき石と埴輪(はにわ)でかざられた大きく美しい前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)ですが、埋葬施設(まいそうしせつ 亡くなった人をほうむった場所)は発掘(はっくつ)されていません。未来の人びとにも、いまのままの岩原双子塚(いわばるふたごつか)を伝えようと、発掘(はっくつ)しないで大切に守られてきたのです。
崖(がけ)をおりれば岩原横穴群、足をのばせば江田船山古墳(えたふなやまこふん)や塚坊主古墳(つかぼうずこふん)があります。みんな赤・白の〇・△・□でいろどられた装飾古墳(そうしょくこふん)です。とくに江田船山古墳(えたふなやまこふん)からは、朝鮮半島の王の墓と似たアクセサリーや文字をきざんだ鉄刀(てっとう)が発見され、国が保護(ほご)した最初の遺跡(いせき)となりました。
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